これから必要な学力と会話力の関係。「言い訳させると伸びる」という育児の失敗談  

会話力と学力の関係
 

会話力と学力は、これからの時代ますます関係性が深くなってきている。
 

大学入試も選択式から記述式が増えてきているし、慶応大学では「論文」が大きな比重を占める。自分の頭で考え、言葉にして、解決策を考え、それを実行して結論を出す。それが、人生において大切だし、そういう力を持った人材が、寄り必要とされる時代なんだよね。
 

AIに台頭されれば、どんなに難解な計算だって知識だって、データだってなんだって、あっという間に人にとって重要じゃなくなってしまうし。
 

人生、なんとか勝ち抜いていく子供を育てる為には、会話力はとっても重要だと思う。
 

いい訳をさせる育児 良かった点

そこで、どこかでかじった「いい訳をさせてみる」育児を実践したことがあった。
 

何でもかんでも頭ごなしに「ダメ」と言わないで、子供が何か言ってきた時に話しを聞いて「いい訳」をさせてみる。
 

すると、頭の中で「説明する力が付く」というもの。「いい訳」は悪いもの、と言われているけれどね。何もかもに意見を言わずに、「ハイ」と言うだけでは考える力が付かない、言葉にする力が無くなる、という考えに私も賛成だった。
 

そこで、「いい訳」させる育児を、上の子が中学時代に実践したことがある。
 

結果は、結構良かったよ。
 

その子の性格にも依ると思うんだけれど、うちの上の子の場合、ぺらぺらと適当な事を言えるタイプではなかったから、一生懸命、口に出して説明するようになったのは良かったと思う。
 

いい訳をさせる育児 失敗した点

けれど、学校生活においては、これは失敗したわ。
 

ある時、我が子が、先生に「遊んでいる」と勘違いされ、我が子は「遊んでいたわけでは無くて、●●を●●しようと思って」と説明をした。それ一言だけだった。
 

でもね、学校の先生は話を全く聞かず、これを「口答え」と捉えたんだわ。
 

結果半年以上、先生には無視され (←先生それはどうでしょう)保護者面談では「反抗する所がある」と言われた。
 

私が先生に謝ると、「子供ですからね、仕方ないですよ。そんなもんです」と理解ある立派な先生のような説明をされたが。。いや・・違う。先生の勘違いです。子供の話、聞かんとね。。。。って思ったのは事実。
 

言い訳しない、というのと、勘違いをされようと、何でもかんでも黙って認めるというのは、違う筈。けれど、こと集団生活においては、一人一人の生徒に、そんなに時間をかけて対応出来ない。
 

だから先生は、どうしても「生徒の話を聞く」という時間は、そんなに取れない。結果、先生との「会話」を期待することは出来ない。
 

子供と先生という関係では、「いい訳」「口答え」「説明」この3つの違いは、恐らく分けることが出来ず、すべて「口答え」になる可能性が強い。
 

いい訳させる育児

言い訳させる育児っていう「いい訳」って言葉が、ちょっと違うのかもしれないね。
 

親がするべき、したいのは、どんな状況であっても、自分の気持ちを言葉にして伝える力を付ける育児 という言葉の方が、長いけど、適切なのかな・・?
 

ただ、何であってもそれは「時と場合と相手による」。そんな匙加減を覚えるのが、子供時代なんだろうけど。
 

これからの学力を伸ばすためには、本当は会話は大切なんだけど、公立学校は、そんな事も言ってられないかもしれないね。
 

まとめ

いずれにしても「自分の言葉で説明する能力」が、これから益々問われる時代になってくるでしょ。
 

慶応大学は入試に論文があるし、どれだけそういう力が大事なのかってのが分かる。そして、どこのワークに行っても、慶応の学生は、「議論することが上手で強い」ってのが我が子達の感想。
 

教育が他の大学と違うのかもしれない。だから会社の社長とか、慶応出身は多いのかもしれない。(※人数的にもともと大規模な大学の場合を除く)
 

おまけの話

アメリカ人は1分に1回人を笑わる会話をし無いとダメ!なんて言われている。
 

会話において笑いを取れることも、とても大事で、日本でも子供用のお笑い学校があるなんてこともTVで見たことがある。
 

会話力は、人とのコミュニケーションにおいても大事だし、大学入試や就職にも直結してくるし、人生を大きく左右する力だと思う。
 

我が家の下の子は、まずは会話の元であるボイストレーニングを子供時代習った。声が変わると、不思議と(いや心理学的に)人は話を聞いてくれるもの。
 

会話力を付けるのには時間がかかるかもしれないけれど、声なら努力次第で、あっという間に変われる。
 

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